四賢婦人記念館
四賢婦人記念館(熊本県上益城郡益城町杉堂1250)に行ってきました。
四賢婦人とは、竹崎順子・徳富久子・横井つせ子・矢嶋楫子(かじこ)の姉妹のことを指しています。矢嶋忠左衛門と三村鶴子の子供で、順子は3女、久子は4女、つせ子は5女、楫子は6女でした。
竹崎順子は竹崎律次郎の妻で、竹崎律次郎は横井小楠の門人でした。64歳で熊本女学校の初代舎監になり、72歳で熊本女学校校長に就任するなど、熊本の女子の教育に尽力しました。
徳富久子は、横井小楠の第一の門人徳富一敬(かずたか)の妻で、徳富蘇峰・蘆花兄弟の母でした。後年、東京へ行き、妹の矢嶋楫子の日本基督教(キリスト教)婦人矯風会の仕事を助けました。
横井つせ子は、横井小楠の妻でした。小楠との子供である時雄とみやを育て上げました。
矢嶋楫子は、はじめ林七郎と結婚しましたが、後に離婚して矢嶋家に戻ってきました。兄の矢嶋直方(横井小楠の第二の門人)の病気をきっかけに東京へ行き、教師の資格をとり、小学校の教師となりました。明治12年(1879)に洗礼を受け、キリスト教徒になりました。ほぼ同時期に姉の順子・久子・つせ子も洗礼を受けています。女子学院の初代院長になり、女子教育に貢献しました。明治20年(1887)「一夫一婦制の建白」を政府に提出しました。明治26年(1893)60歳の時、日本基督教婦人矯風会の会頭になりました。明治39年(1906)74歳で渡米し、ルーズベルト大統領と会見しています。その後、禁酒運動や公娼制度廃止運動等を行いました。
徳富蘇峰誕生地
近くに徳富蘇峰誕生地がありました。