霊巌洞

霊巌洞

 宮本武蔵は、晩年熊本の藩主細川忠利侯に招かれて、熊本へ来ました。

 そして、60歳のときに霊巌洞という洞窟で『五輪書』を書いたと言われています。

 しかし、『五輪書』の序文には、執筆にあたり決意を新たにするため岩戸山(霊巌洞)に登ったことしか書かれていないため、実際にここで書いたかどうかは定かではありません。

 今回、熊本市西区の山の中にある、この霊巌洞を訪れました。

『五輪書』

『五輪書』宮本武蔵

 『五輪書』は、「地の巻」「水の巻」「火の巻」「風の巻」「空の巻」の5巻からなります。

 この5巻には、主に武蔵が考え出した二天一流の兵法の修練法が書かれています。

現在、この『五輪書』は、現代語訳や解説書、および外国語訳が多数あります。しかし、解説書の中で示されているような、人生訓や経営哲学などを述べたものではなく、「兵法指南書」や「教則本」的なものであるといえます。

投稿者

masa

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)