後藤是山記念館

 熊本市中央区水前寺2丁目6-10にある、後藤是山記念館に行ってきました。

後藤是山記念館

隣接する淡成居の中にも入りました。淡成居とは、後藤是山が住んでいた旧居のことです。

淡成居

 後藤是山(本名:祐太郎)は、明治19年(1886)大分県久住町に生まれました。旧制竹田中学から早稲田大学に進みますが家庭の事情により中途退学、明治42年九州日日新聞社に入社します。明治44年に国民新聞社に記者留学した是山は、社長の徳富蘇峰から指導を受けると共に、与謝野晶子や徳富蘆花、高浜虚子等と出会い、感化を受けました。

 熊本に戻り新聞編集を任されるようになった是山は、東京で出会った著名な文化人たちを紙面に登場させ、文芸欄の刷新・拡充に努めました。しかし、昭和9年、是山のよき理解者であった山田珠一社長が急逝、折からの社内問題もあって九州日日新聞社を退社します。

 退社後の是山は、「自分は単なる歌人ではない。また単なる俳人でもなく、郷土史家でもない。ひたすらに俗塵の中に生きつつ世を嘆く老記者、老書生でありたい。」と常々語り、時流におもねず市井に息づく一市民として、郷土の文化の掘り起こしに力を注ぎました。昭和61年6月4日逝去、享年99歳でした。

投稿者

masa

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