新開大神宮
今回、新開大神宮に行ってきました。新開大神宮は、神風連の首領であった太田黒伴雄が奉仕した神社として知られています。
太田黒伴雄
太田黒伴雄は、25歳のとき林桜園の原道館に入りました。次第に頭角を現し、宮部鼎蔵や轟武兵衛らから一目置かれる存在になりました。
太田黒は、もともと大野鉄兵衛と名乗っていましたが、師の林桜園が尊崇するところ深い新開大神宮の太田黒家の嗣となり、太田黒伴雄と名乗るようになりました。
朝廷から林桜園の召命があったときは、桜園の行くところ常に陪従して、岩倉具視や有栖川宮熾仁親王にも謁しています。
太田黒は、神風連の頭領となりました。明治政府の行なった欧化政策や廃刀令に怒った神風連の人々は、太田黒が新開大神宮で行った「宇気比(うけい)」という神託の一種で戦いの決断を下しました。