徳富記念園

 熊本市中央区大江4丁目にある徳富記念園に行ってきました。

徳富旧邸(大江義塾跡)

 ここは、徳富蘇峰・蘆花の旧邸で、大江義塾の跡です。ここの2階で徳富蘆花は神風連の変を目撃しました。(近くに種田政明の家があり、そこが燃えるのを目撃しました。)

徳富旧邸室内
2階への階段
徳富記念館

 隣接する徳富記念館にも行きました。

「国民の友」

 徳富蘇峰は、明治19年(1886)に一家を連れて上京し、その翌年に湯浅治郎の名義で民友社を創立し、平民主義の思想のもと雑誌「国民の友」を創刊しました。

 雑誌名は蘇峰が愛読していた米国の週刊雑誌「ネーション」からとったもので、創刊号7000部は見る間に売り切れ、第2号からは10000部を超えるという勢いが続きました。その頃の初号が600~700部が普通であったことからも、その人気がうかがえます。

国民新聞 第一号

 蘇峰は明治23年(1890)、念願であった「国民新聞」第1号を発行しました。彼は外国の新聞を参考に、文学や美術を取り扱うとともに、「絵画」を紙面に取り入れるなど、当時としては画期的な紙面づくりを工夫しました。

『将来の日本』徳富蘇峰

 蘇峰は、明治19年4月『将来の日本』の執筆にかかりました。彼は、この草稿の中に、当時彼の有していたすべての思想、一切の知識、あらゆる学問を傾倒しつくしました。彼は、この草稿の中で、19世紀後半にようやく世界に出た日本は、平和主義をとり、商工業を盛んにして一大生産国となすべしと論じました。

『不如帰』徳富蘆花
トルストイと蘆花の絵

 蘆花は、明治39年(1906)、パレスチナ巡礼行に出発しました。同年6月30日の午前6時頃、ロシアのヤスヤナ・ポリヤナのトルストイ邸に到着し、その日の午後、トルストイに誘われてヴァロンガ川で水浴びをしました。その後、迎えの馬車で母屋の玄関先までくると、トルストイ夫人がカメラを用意して撮りました。


投稿者

masa

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