金栗四三の生涯
金栗四三は明治24年(1891)8月20日に玉名郡春富村(現和水町)に生まれ、旧制熊本県立玉名中学校(現熊本県立玉名高等学校)を卒業後、東京高等師範学校(後の東京教育大学、現筑波大学)に入学しました。
明治45年(1912)の第5回ストックホルムオリンピックに日本人初出場後、22歳の時に小田村(現玉名市上小田)の池部家の養子に行くことになり、大正3年(1914)4月、石貫村(現玉名市石貫)の医師の娘春野スヤさんと結婚しました。
その後主に東京で箱根駅伝、マラソン普及、女子スポーツ等や後進育成に邁進しました。
53歳で熊本に帰郷し、以後、昭和58年(1983)に92歳で生涯を閉じるまでこの地で暮らしました。
金栗四三翁住家・資料館
熊本県玉名市上小田600番地にある、金栗四三の住んだ家と資料館を訪れました。周りは山や田んぼで、のどかな風景がありました。
金栗四三のお墓
金栗四三のお墓が近くにあり、お参りしてきました。