ジェーンズ邸
熊本市中央区水前寺にあるジェーンズ邸に行ってきました。
ジェーンズはアメリカオハイオ州ニューフィラデルフィアでうまれました。ジェーンズは始め法律家を志しましたが、19歳の時に一転しウエスト・ポイント陸軍士官学校に入学します。同校を卒業後南北戦争に北軍の士官として従軍し、26歳の時に母校ウエスト・ポイント陸軍士官学校で教鞭をとりましたが、30歳で軍籍を離れ、メリーランド州セント・デニス近郊に農地を買って、農業に従事しました。
大きな変革があったのは35歳の時、オランダ改革派の宣教師ヴァーベックを通じて熊本洋学校教師の誘いを受けたジェーンズは、熟考の上受諾し、家族と共に熊本に赴任しました。
熊本洋学校でのジェーンズは生徒たちにすべて英語で授業を行い、厳しいながらも多くの生徒に慕われました。地域住民に対しても西洋野菜の紹介やパン、牛乳、牛肉食を勧めたほか、印刷機や西洋の農具を導入するなど生活改善の指導を行い、熊本に大きな影響をもたらしました。
また、ジェーンズは生徒の望みに応じてジェーンズ邸内で聖書研究会を開催し、生徒の中にキリスト教熱が高まりました。明治9年(1876)に花岡山の結盟が結ばれると、熊本県内で大きな問題となり、洋学校は廃校することを余儀なくされます。ジェーンズは生徒の進路のために奔走し、多くの生徒が同志社英学校に進むことになりました。
その後、大阪英語学校教員となるも明治11年に帰国し、ジェーンズは離婚訴訟などもあり、不遇の時を過ごしますが、洋学校の元生徒の斡旋(あっせん)もあり、明治26年(1893)、57歳の時に再び来日し第三高等中学校等などで教鞭をとりました。しかし、62歳の時に満期により離職、帰国します。
晩年はカリフォルニア州で不遇のときを過ごし、1909年、72歳の誕生日に心臓発作を起こして生涯を閉じました。熊本での日々は、ジェーンズにとって生涯で最も輝いていた時間だったとも言われています。