神風連の変について
神風連の変は、明治9年(1876年)に熊本県で起こった士族の反乱です。
太田黒伴雄を首領とし、約170名の士族が熊本県の藤崎八幡宮で挙兵し、熊本県令や熊本鎮台司令長官などを襲撃しました。
この挙兵により、参加したうちの124名が討ち死にか切腹をして亡くなり、50名程が捕らえられて、一部の者が斬首されました。
この戦いにより、熊本県令の安岡良亮や熊本鎮台司令長官の種田政明らが襲われて命を落とし、熊本鎮台の兵も60名程が亡くなり、200名程が負傷しました。
桜山神社
今回、桜山神社を訪れました。桜山神社の敷地内に、神風連資料館と関係者のお墓などがあります。
林桜園
林桜園は、幕末肥後の思想家で、神風連の人々の指導者です。
家塾の原道館を興し、来学する者は1200人にも及びました。その中には、宮部鼎蔵、松田重助、河上彦斎をはじめとする肥後勤王党の人々や、太田黒伴雄、加屋霽堅、上野堅五、齋藤求三郎などの神風連の人々がいました。
著述には、『昇天秘説』『答書稿』『宇気比考』などがあります。また彼は「神事は本也、人事は末也」と言い、神道を究め、実行しました。
晩年には召命によって東上し、有栖川宮や岩倉具視に面接しています。